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園長ぶつぶつ

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行事についてのノート

2015-03-02
行事についてのノート
 
行事には親の参加するものとしないものがある。
行事はその種類として以下の物にわかれる。
①生活の区切りをつける。入学式、始業式、卒園式
②季節を感じる。雛祭り、まめまき
③宗教的、社会的なもの。花まつり、成道会、敬老会
④生活に必要なもの。避難訓練
⑤成長(発達・成果)を知らせる。運動会、発表会、作品展 など
 
全ての行事は子どものためにある。
親は子どもの成長(発達・成果)を知りたいし、園は知らせる義務がある。
成長を知らせるには、成果を知らせるものと発達(プロセス)を知らせるものがある。
成果は当日見てもらうとわかりやすい
成果は出来たか、出来ないに表れやすい。
発達(プロセス)は当日だけではわかりにくい
発達(プロセス)は出来たか出来ないか表れにくい
 
幼児の成長を知らせるのは園の仕事です。
園は成果だけ知らせることのないようにしたい
成果だけ見せると出来栄え主義などと言われることもある。
親は成果だけで、感動した、凄い、ダメね、まったく、などと一喜一憂しないことが望まれる。
 
行事は子どもの為だが、親の為でもある。
だから、やりませんなどと言ってはいけない。
行事を選ぶ・時には辞めることは大事だが、
行事がなければ本当の保育ができるのに、などという保育者は感心できない。
言い方を変えると、日頃の保育が行事に反映できることが大事です。
暇がある親は、行事の前に園に行ってそこでどんな風にしているか、
そのプロセスを見ることです。
発達のプロセスを大切にしている園はウエルカムするはずです。
 
 

幼稚園教育の質を問う

2015-02-01
原稿の依頼が来ています。30代の頃から原稿・講演の類は断らないようにしています。理由は怠け者ですから外圧がかからないとやらないし、勉強をしないからです。題目は「幼稚園の質を問う」という内容です。原稿用紙24枚くらいですから、少し頑張らないとだめですね。質って大事なことです。日本ではあまりしませんが、アメリカなどでは縦断的な研究調査をよくします。ある人たちとある人たちを選んで何十年も観ていくのです。結論はというと、しっかりとした良質の幼児教育を受けた人は、そうでない人よりも、年収が多い。仕事につく率が高い。刑務所に入らない。なんて結果がでています。また、お金をかけるのなら後でかけるより、小さい頃つまり幼児期にかけた方が経済効果が高いとも言っています。これは幼児教育の学者が言うのではなく経済学者が言っていることです。この事を聞いて日本の政治家はがぜん幼児期の子どもと親にお金をかける気になりました。それはいいことですが、世界的にみるとまだ少ないのです。消費税を子育てにまわしたり、就園奨励費を増額して、特に2人3人目の子どもがいる方に出すようにしています。お金は大事ですから良い状態になってきています。しかし先生のお給料をはじめ幼児にかけるものはまだまだ少ないのです。子どもの数に対する先生の数は質という点から大事ですね。あと庭や保育室の広さも大事です。こうした目に見えるところも、もっともっと改善しなくてはならないところです。しかし人がいればいいというわけではない。ものは無いよりあった方がいいが、出し方や言い方があるのです。だからこの質のことは子ども達と接する「保育者の質」に他ならないと言っています。それと同時に「内容の質」が問われます。同じ事を毎日してこんな風になりました。すごいでしょ!ということはたまにテレビなどでやっていますが、世界では通用しませんし、はっきりダメと言っています。国の子ども子育て会議の無藤先生などは、一日5分、タダでやれたらやらせても良いけど、と皮肉交じりに言っていますが、子どもの成長は自主的な遊び(どっかの先生主導の教室がする○○遊びではない)に、保育者や親が的確に(いつもだれでも同じでない)関わってこそなされます。だから難しいし前の準備も大変なのです。そんな訳で、まず日ごろの先生方の学ぶ姿勢がなくして、この質にはたどりつけません。今回の原稿は日本の多くの保育者や学者が観るはずですので、しっかりしたものを書かなくてはとプレシャーであります。しかし嘘はかけませんので、うちの先生達の子どもとの経緯を正直に出すつもりです。まだまだ十分には程遠いことは承知ですが、園長が前向きにやっていないとだめですよ!と老体に鞭打っているところです。あくまで質を求め、うちの先生たちも一流になって欲しいと願っています。保護者の皆様と一緒にやりましょう

親と幼稚園の関係

2015-01-21
親と幼稚園の関係を考えて見るに、私はとてもありがたいと思っています。この二つは子どもの為になることをするわけでして、気持ちがその意味であっていなくてはなりません。今回のイベントは保護者会から言われたものです。「園長先生、父の日の売上金ですが、皆さんが協力してくれたので、今回プラネタニュームが呼べます!」そう会長から去年言われました。「ほんとはホールでしたかったのですが、ドームが少し入らないので、城北公民館を借りました。」と続きます。そんな善意のお金を子どもが喜び、そしてこれからのきっかけに使って欲しいとというのが素敵です。幼稚園は勿論、子どもの事を第1に置いてしていますが、この協力が嬉しいんですよね。いやもしかしたら協力ではなく、私たちは親としてこうしてあげたいの!という事がです。幼稚園や保育園、また学童保育など聞きますと、案外親が口を出せないところが多いのです。日本総研の主任研究員の池本さんとは昔から知っていて、今度一緒にお仕事もしていきますが、日本の学校って親の参加を拒んでいるしか思えない!と言っています。実際これが多いのです。もっと言えば、親が園に来るのが少ないのを売りにしている所もあるくらいです。それははっきり言って間違いです!子が育つには親が大事です。学校なんてたいしたことはない。と思ってください。でも園は、きっかけは作れる!そのくらいはできます。そしてそれが合いまったとき力が発揮できるのです。これ園長の本音であります。きっかけで保育料頂いては申し訳ないのですが、このきっかけも大事なのでお許しください!園は家ではできないことをせっせとしてこのきっかけを作ります。そしてこのあと一緒にしていきましょう!それが親と幼稚園の良き関係と思って下さい。

今年も終わり、来年も宜しく

2014-12-31
さて、ことしも今日でおしまいです。みなさんはどんな年でしたか?この仏様はタイ国の大きなお釈迦様だと思います。上から見下ろされてすこし怖い印象です。おまえは精いっぱい生きたか?正直に生きたか?勤めをはたしたか?そんな風に言われていそうな感じがします。仏様のまえではみんなお見通し!されてしまう。そうですよ!だませません。ごまかせません。人間は小さいから、みんなで仲良く、これからもよろしくお願いします。

テレビの嘘!

2014-11-02
保育の内容を預ける方はどの様に思っているのか?3年間、もしくはそれ以上の年月を自分の子どもが誰かに育てられるということをどの様に思って選んでいるのでしょうか?手前味噌ではあるが当園の保護者の方はその事をかなりの重気を持って決めてもらっている様です。その昔、あるお父さんから言われた事は今でも忘れません。「幼稚園はイイよ!みんな違うからさ。そして入れようと思えばどこでも入れてくれるから」ということでした。若き私はそうだと思った次第です。違ってイイ!それが良い響きであったからです。しかし幼稚園を名乗るからには(名乗らず公金も一切貰ている)最低限の守るべき事項があるのです。国が出している幼稚園教育要領という基準です。これを作ったり、直したりしている人を僕は知っています。直接その目指している事を聞いたこともあります。そんな訳で、この基準はいつしか僕の中で大事なものとなっていきました。教育要領は法令としては告示されたものであり、守らなくてはいけないものは言うまでもありません。でも私立幼稚園はこのことをあまり意識していない園長も現場の先生も多いのです。教育要領はあまり厚くない、ページが少ないところが良いところです。それは基本は押さえて下さい。しかしその方法は皆さんに任せますよ!という姿勢からそうなっています。お仕着せがましくないところが好きです。第一の基本原則である、幼稚園は環境による教育である。は幼稚園は教科書でなく色々なものに直接触れ合う事を言っています。でもカードを使って読みや意味を教える人がいて、それをテレビで流しさも知的な教育であるといった具合です。このやり方など教育要領では全く言ってません。厳しく言えば法令違反なんです。では字は扱ってはいけないか?と言えば、教育要領の中では子どもも遊びや生活の中でその興味に従い、字の便利さは感じる様にして下さい。とあります。例えば運動会の大きな旗を作り、柴山組と書くこともあるわけです。ひらがなでなく漢字でもイイし、アラビヤ数字やローマ数字も幼稚園には子どもの目に付くところにあります。この経験や下地を次の段階につなげていくのが正当な(教育要領で示された)幼児教育であるのです。例えばこういう事を知らないで、四文字熟語が言えただけで凄いという事は実は要領では言っていないわけです。この事の理解があるかないかで、幼児教育の内容に差が出るのですが、小さい子が早く出来たことが人気を集めるのもわかります。しかしその後の調べではその事が意味を持たないどころが、マイナスになりがちのことも小学校の先生の発言などで言われているのです。ゴールは学校の成績などにはありません。本当の学力・生活力をつけてこの世を生きることです。その事がわかっていただく様にしていくのが私の役割なのかもしれませんね。こんな事をしたためるのもそうした理由です。目先ではない本質を見える人になりたいものです。
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