本文へ移動

園長ぶつぶつ

RSS(別ウィンドウで開きます) 

平六会のこと

2011-06-01
今年も平六会が開かれます。年に一度の会です。会員は最初は25名くらいいましたが今集ま るのは15,6名というところでしょうか。会長は不肖私が務めています。誰でも務まりまするが最初から変わっていないのです。この会は平成六年に出来まし た。メンバーは当時の佐野市の学校のPTAの会長さんたちです。今も市P連と言われる組織ですね。つまり平成6年度の市P連の人たちのOB会とでもいうも のでしょうか。その時の市P連の会長が私だったので自動的に平六会の会長もやらされているわけです。何をするのかというと、食事をして、お酒を飲んで、お しゃべりをするだけの会です。「なーんだとそれだけか」と思うでしょう。そう、それだけなんです。私の仕事はその時、挨拶をするだけなので、だからあまり 負担感はない。この会には幹事さんが4名います。こちらの方の方がはるかに大変なんです。毎年というか、4人いますので4年に1回ですが、店を予約し、連 絡網でメンバーに出席の確認をするのだから、挨拶よりはるかに手間がかかるのです。幹事さんももう4回り目ですから手順は良くなっていますがね。この会の 最初の集まりの日が、平成7年1月17日の夕方でした。そうなんです!あの神戸の大地震の日でした。会で集まったものの被害の甚大さが刻一刻とわかって来 て、ビックリする事。盛り下がること。一同しーんとしましたね。ですから今回の地震も恐ろしい被害になると直感的に感じました。こうして忘れられない日に 発足した会も17年目を迎えようとしています。子供のことをみんなあんなにも話していたのに、今の話題は、自分達夫婦のことや孫やペットや、病気や、薬の 事(笑)になっています。時の流れを感じざるを得ません。この世話好きで、底抜けに気のいいPTAの皆さんと、この会のことは私にとってチョット自慢で す。つまり会長はヘボでも幹事がいいと長続きする会、そして今年もこの時期か、なんて思える会だからです。それにしても今感じている事は、子供のお陰で人 生は豊かになるということ。子供のお陰で親も「大人」にしてもらえるということです。今正に子育て中の皆さん。お楽しみはこれからですよ。

春の宵に徒然なるままに

2011-05-01
今年の春はいつ になく遅かったような気がする。あの大きな地震が起こった日も東北では季節はずれの雪が舞っていた。早く春がくれば良いのにと思った日本人はたくさんいた だろう。「もうすぐ春ですね」はキャンディーズのヒット曲。同世代の私にとっては懐かしい。「年下の男の子」という曲もあった。今確か、東京医科歯科大学 の教授をしている佐野高校の同級生のK君も踊りを交えて歌っていた。彼はアイス・スケーターのジャネット・リンも好きだったっけ。キャンディーズと言えば スーちゃんが先月亡くなった。3人の中ではポッチャリ系だったように思えたが、当時のビデオを見るとスマートなんだと新発見。顔が丸い人は損だな~。お葬 式のときに亡くなる前の彼女の遺言のようなテープが流れたと言う。You-Tubeで見ると悲しい言葉だった。「もっと女優がしたかった」と言っている。 でも「天国で今回の被災にあった人たちを喜ばせる」とも言っていた。新聞のコラムである人が 言葉の力という題でこのことを述べていた。スーちゃんの言葉 には真実の力があると・・・。それに比べ日本の首相は言葉か軽い。被災地で「ごめんさない」と言い訳していたが言葉に力がない・・真実がない!そのことが 悲しい。被災地と言えばなかなか情報が伝わってこない。あの日も電話がつながらなかった。そんなこともあり、震災後ツイッターを始めた。100億円の義捐 金の孫さんと東京の副知事の猪瀬直樹氏をフォローしていると、いろいろな人が彼らにつぶやく。面白いつぶやきもあるがどうでもいいものもたくさんある。こ れがツイッターなんだそうだ。僕の事をフォローしている人は10人くらいかな。ブルックリン在住の女性らしき人はなんか怪しい。娘の友人も僕のフォロ ワー。タイムライン上でつぶやき合える。娘が不思議な状態と笑う。ホームページも含め半年前からITでの発信・受信に凝っている。2年ぶりに買い換えたア イ・フォンのことを妻は「おともだち」と呼ぶ。肌身離さずにいるという皮肉である。惜しまれて亡くなった人の中に本田美奈子もいる。偶然You-Tube で出会う。ミス・サイゴンのミュージカルのことは知っていたが、可愛いアイドルくらいの認識しかなかった事を恥じている。
相当な実力歌手だ。彼女も癌(白血病)であったようだ。スーちゃんと同じ思いであっ たと思う。本田美奈子の「オリビアを聴きながら」は絶品である。私の「おともだち」の中にも「お気に入り」の中に「微笑み返し」とともに入っている。春の 宵に一度ジャスミンティーでも飲みながら聴いてみることをお薦めしたい・・・

人が前に進む為に

2010-04-01
今、東北関東大震災から2週間がたとうとしている。この号が出されているころに日本 の災害史でも未曾有なこの事態はどう推移しているだろうか。今現在で3万人を超える人々が亡くなったり行方不明である。原子力発電所の事故もいまだ推移を 固唾を呑み見守るしかないところだ。聞くところによると小さな子ども達の中からも多くの犠牲者がでているようである。謹んで哀悼の意を表したい。多くの幼 稚園、保育園、学校が園舎や校舎を地震や津波で破壊され、子ども達が集まれるまでに多くの時間を要することになるであろう。
それにしても自然とは何たる力を持っているものなのか。ギネスブックにのるような世 界一の防波堤も木っ端微塵にし、大波が乗り越えてしまった。海岸から相当な距離まで津波は浸食し、避難所さえものみ込んでしまった。「想定外」とは自然の 力を侮った言い訳にしか聞こえない。3月11日のお昼を済ますまでは、被災地の多くの人々が親族を失い、家を流され、放射線の脅威を感じ、寒さと飢えの中 で避難所のストレス多い生活をすることになるなど、万に一つも考えていなかったはずだ。しかしこうした事が悲しいかな、人の力とは遠く離れたところで起き うるという事実をいやがうえにも私達は突きつけられてしまったのだ。
こうした絶望の中で人間はどう生きていくのであろうか。「がんばろう日本!」とメ ディアが繰り返し流してはいるが、はたして頑張れるものなのか。被災2週間がたち日替わりでいろいろな状況がわかってきた。類まれな災害ゆえにその目を覆 いたくなるような、いや地獄のような映像がこれでもかと続いた。しかしその中で「人が求めるのは人である」ということが改めて見えてきた。勿論最初に求め たものは、安全な逃げ場所であったはずだ。そして水、衣服、毛布、食べ物、薬、と続く。どれも生きるに必要なものだが、肉親の安否が確認された場面や救出 や再会の映像を見るにつけ、何よりも人が望んでいるものは愛するものの存在なのだということを感じる。生存が確認されずに、せめて身に付けていた衣類や写 真、乗っていた車をと必死に探し求める姿からは、人にとってかけがえのないものとは紛れもなく人なのだということがわかる。愛する家族や友達、同僚、地域 の人たちの存在こそが生きる勇気や希望を与えてくれるのだ。その意味からも多くの被災地の方々の無事をそしてこれからの支援を願わずにいられない。
 
今、被災地には「ありがとう」という言葉が満ちているという。東北の方々の慎み深い 性格もあろうが、世界中が感心し驚愕しているのは、避難所で互いをいたわり耐え忍び、しかも他者に対しての感謝の念を持ち続ける日本人の心性である。この 壮絶な被災の場での日本人の心とはこの「ありがとう」に凝縮されている。「和顔愛語」は仏教保育の徳目のひとつだがこうした最悪の状況でも、日本人は救援 物資を届けたり、医療を施してくれたり、破壊された原子力施設の中に飛び込む消防や自衛隊の人たちに温かい眼差しと ありがとうの言葉をかけることの出来 る民族であることに誇りをもちたい。
 
同時に日本中いや世界中の人々が自分達がこの災害に苦しむ人の為に何が出来るかとい うことを考えている。それはボランティアの参加や一人一人の節電であり、物資の買占めをしないことであり、義捐金を届けることでもある。当園でも早速、募 金を開始したが沢山の方々が賛同していただき、瞬く間に多くの金額が集まった。一言で言って、この行為の原動力は人間としての「共感」にあると思う。「共 感」という言葉は今までもよく耳にしていたが、今回のこの災害では本当に多くの人々が我がことのように感じ、行動していると思う。「同事協力」も仏教保育 の徳目のひとつだが、この同事も協力も人間だけにしか出来ない行為なのだ。勿論こうして被災地から遠く離れてどれほど被災者の方々のお気持ちに寄り添える かわからないが、出来る限り被災者の対場に立とうと努力し、永く永く忘れることなく思いを寄せていくことにしよう。
 
千年に一度という大災害の復興や多くの人々の心の癒しは簡単なことではない。
しかし、この災害の中で今見られる人としての大切な心のありかたは
どんなときにも人間として生きる上で大切な事にかわりないはずだ。
 
そのうえで 災害からの復興を祈っている。
悲しみを抱きながらも 共に前に進んで行きたい。  合掌

(月刊 仏教カリキュラム 5月号巻頭言 掲載予定)

これでもかの迫力

2011-03-01
私はディズニーランドのパレードが好きです。あの混雑ぶりには閉口しますが、とにかく子ども達、いや大人さえも全世界の人間を楽しませてやろうという意気 込みが感じられるからです。出演する人たちをキャストと呼ぶのでしょうか。誇りと生きがいをもってやってますよね。そこも好きな理由なのですが、一番すご いなと思うのはあのパレード終わりだと思っても終わらないところです。世の中大概のものにはそろそろおしまいというか、潮時というかそんなフィナーレ感が あるものです。宴会などもこの辺で「中締め」っていう時があり、相当盛り上がっていても納得してしまいます。ところがあのパレードはそうではない。子ども を連れて初めて見たときなど、「もうおしまいだよ」と3度くらい言ったものです。でも来る!それでも来る!ほんとに来る!終わりがあるの?と言うほど来 る!この「これでもか!」という精神が好きなのです。教育という営みに私達は就いていますがこの仕事、このくらいでいいかと思ったときが(言葉はきつい が)堕落の始まりと言うか、発展が見込めなくなるというか、そのようなものです。そもそも子どもの成長にこれで良いなんて到達点はないわけですからね。 ディズニーランドというと、子どもの頃にテレビで見たワォールト・ディズニー氏を思い出します。ついでにスポンサーだった不二家のイチゴのパフェとショー トケーキも思い出しますね。不二家は変な事をして消費者を裏切ってしまいましたが、ワォールト・ディズニー氏の精神は健在のようです。昨日のアカデミー賞 授賞式でトイ・ストーリー3は長編アニメ部門でオスカーを獲っていました。とにもかくにも、「この程度で」と言わぬ精神は大事です。そんな大人の中で子供 たちは逞しく成長し、「この程度で」なんて自分で限界を決めてしまうような人には決してならないと信じています
TOPへ戻る